スポーツを始めるならアイスホッケー!子供も大人も楽しめる!日頃の運動不足解消!

ヒストリー

ヒストリー

1984年、京葉線稲毛海岸駅前に扇屋ジャスコマリンピア店が開店、店内にスケート場が出来たのがスタート。最初は子供数名・大人4名で始まった。
マリンピアをホームリンクにしていたので、チーム名は「マリンピアアイスホッケークラブ」にするか?とジャスコ側に話しをしたら、当時ジャスコではスポーツクラブや新体操クラブが活動していたので、混同され誤解を招くとの理由で断わられた。
それでは稲毛海岸らしい名前をということで、「稲毛マリナーズアイスホッケークラブ」にした。

当時、毎週日曜日の朝練習をしていた(冬季のみ1時間)。その後90年頃までマリンピアで活動していたが、リンクの大きさが半分になってしまったので、新設された茂原アスモアイスアリーナに活動の拠点を移した。

当初日曜日の朝だけ練習していたが、その後子供も大人も人が増え、子供は朝の練習、大人は夜の練習になった。
当時のバブリーな社会情勢の中で、目新しい他人と違うスポーツに興味を示す子供や父兄も多くて部員が増えた。茂原アスモには他にジュニアチームがなかったこともあり、多い時で小中学生だけで30数名、大人も30人近くの部員がいた。

当時は、県内の小中学生のジュニア大会(当時は県内に5チームあった)や関東少年大会(日光市他)、箱根の大会、富士スバルランドの大会、三島の大会などへのエントリー、夏や秋の合宿(富山町・日光市・伊香保町など)などの活動を続けていました。

しかし、茂原アスモは開業当初は通年営業だったが、そのうち冬季のみの営業になり、96年の5月に閉鎖した。他の千葉県内のスケート場は新松戸ダイエーしかなくなり、大人のチームは解散した。

ジュニアチームだけでも続けようと新松戸に貸切を取るも、部員は半減。同じく部員減少の悩みを持つ「船橋ジュニアアイスホッケークラブ」と合同で練習を行う。
その後チームも「FM(エフエム)エクストラアイスホッケークラブ」として合併してスタートした。船橋のFとマリナーズのMをチーム名にした。
リンクの貸切を取ることも含めチームの運営はいろいろ困難の連続だった。小学生が特に少なくなってしまい、また辞めたり他のチームに移ったりの子供が続いた。
99年に小学生のチームは解散して、中学生のチームだけ活動を続けた。それも6人いた中学3年生が卒業した2000年に、「FMエクストラ」も解散して活動は休止した。

2005年10月、千葉市美浜区新港に新しいスケート場「アクアリンクちば」が開業、これを機に「稲毛マリナーズアイスホッケークラブ」は活動を再開しました。
現在も日曜日の朝練習または夜、練習しています。

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